共に生きています
- 傾聴ダイヤル 岡山
- 1月25日
- 読了時間: 2分
更新日:2月14日
髙原優子です。
想いや行動というものは人それぞれの資質や経験に基づいてのことだから、人によって大きく異なってくるのは当然のこと。
ピッタリ息の合う時もあれば、許せない気持ちや納得のいかない時もあります。
合わない人との出会いが多かったり、裏切られるような出来事が続くと
”だからやっぱり自分は一人の方がいいんだ…”と安易に片づけてしまいがちですが
「一人で生きている」と思いながら生きていくいくことと、
「自分は周りの人とは違う個性を持っているけれど自分以外の人と共に生きているんだ」
と、人を感じながら生きていくこととは大きな違いがあるように思います。

無理をして交わる必要はありません。けれどそのように人と殆ど交わらないような人であっても、多くの人の中でその一人として”共に生きている”のです。どんな人でも共に誰かと生きているのです。
だから永遠に満たされないかもしれない寂しさや孤独に押し潰されそうになることもあるけれど、自分という人間もたくさんの個性的な資質を持った人達の中の一員であること、そのメンバーなんだということ。
そこをくしゃっと【孤独】とひとまとめにしてしまわないで、自身のことと周りの気の合わない人たちのことも尊重できたなら、今心の中に存在している孤独というものは少しやわらかいものになるのではないかと思います。尊重することは難しいことではありません。
自分のことを労って欲しい気持ちは、同じように他者の心の中にも存在しているんだということを重ねるだけです。
この部分は当たり前すぎて気にも留めないと思いますが大切な意識ポイントです。
多くの方が目新しい言葉やワークには容易く飛びつくのですが、子供にでも理解できるような箇所にこそ、大切な気づきが沢山眠っています。
認知の歪みというものが様々なトラブルの元になります。
当たり前に思っていることほど、カチカチに凝り固まっています。
苦しくなったらこの歪みを見つけることです。それが生きやすさに繋がる第一の架け橋になります。